本気で死ぬかと思った体験談(3)

 最近、人生で3回目の死ぬかと思った体験をしました。

アナフィラキシー

 最近、《アナフィラキシー》という言葉を耳にすることが多くなっていますが、まさか自分がそうなるとは思ってもいませんでした。

 いろいろ調べてみたら、多くの情報に「命にかかわることもある」とアナウンスされていたので、注意喚起も兼ねて自身の体験をシェアしたいと思います。

蕁麻疹

 その日、夕飯の時間になり、それほどおなかが空いてなかったので、千切りキャベツとキュウリ、子持ちシシャモ(カペリン)、白米、オクラのお浸しを食べました。

 それから20分ほど経過したとき、足や顔、腕に蕁麻疹が発現。「蕁麻疹ならすぐに治まるだろう」と軽く考えて2階の自室に戻り、スマホでメッセージの確認をしたり新しい情報をチェックしたりしていました。

 10分ほどそんな事をしてるうちに蕁麻疹が引いていき、「ほら、治った!」と思ったのも束の間、今度は全身から血の気が引くような感覚が襲ってきて、同時に下痢を伴う腹痛と吐き気が発現しました。

 自室からなんとか階下に降り、トイレに入って下痢と嘔吐を2回ぐらい繰り返した後、トイレから出ると今度は全身が痺れるような感覚に陥り、立っていられなくなって、畳の上に倒れ込んでしまいました。

死ぬかもしれない恐怖

これまでの経験から、自分の中で「これ、下手したら死ぬやつかも」と思いました。

 その日は幸いなことに、家族が居ましたので、ヤバいと思った私は、「救急車呼んで!」とお願いし、倒れたまま救急車が来るのを待っていました。

 一瞬 (自分の意識の中では短時間)、気を失っていたのですが、救急車のサイレンが近づいてくるにつれて、徐々に意識がハッキリしてきて、少し楽になっていましたが、救急隊員さんの問いかけには、まだ朦朧として、最低限の事を答えるのが精いっぱいでした。

 病院に到着し、医師から「夕食で何を食べたか」を聞かれ、経口投薬と点滴を受けながら2時間ほど寝た後は、ほぼ正常に戻り、医師から説明を受けました。

 医師の説明によると、今回の症状は、子持ちシシャモのヒスタミンによるアナフィラキシーでほぼ間違いないだろうとの事で、後日、自身のアレルギーを把握するためにも検査をしたほうが良いと言われました。

躊躇なく救急車を

 普段はアレルギーを意識することも、自覚する症状もなく、普通に生活していたので、アナフィラキシーなんて想像もしていませんでした。

 昨今、救急車を呼ぶか呼ばないかの議論が散見されていますが、自分がヤバいと思ったら、救急車を呼ぶ事をためらっては命にかかわるので、躊躇無く救急車を呼ぶ事が必要だなとあらためて感じた出来事でした。

本気で死ぬかと思った体験談(2)

冬のとても寒い夜

 冬の暖房は《オイルヒーター》をメインで使っているのですが、その日はオイルヒーターについているタイマーのメンテナンスをしたことを忘れて、事前に電源が入らず、部屋が暖まっていませんでした。

 普段はだいたい軽作業なのでノートパソコンで作業をするのですが、2階の自室にメインのデスクトップパソコンがあり、その日はそれを使って作業をする必要があったので、急遽使っていなかった《石油ファンヒーター》を引っ張り出し、「ファンヒーターはすぐ暖かくなるな」などと思いつつ作業に取り掛かりました。

頭がボーっと

 作業に没頭しているうちに、2時間が経過。なんとなく頭がボーっとしてきたので、換気しようと思いファンヒーターを消して部屋の窓を開け、何か飲もうと思い階下へ降りてコーヒーを入れてキッチンの椅子に座った時、スーッと血の気が引いたような感じがして椅子ごと倒れてしまいました。

 それを見ていた家族がすぐに救急車を呼び、意識が朦朧としたまま救急車に乗せられて、救急隊員の方が何かを訪ねていましたが答えられずに病院に到着。応急処置をしてそのまま入院となりました。

一酸化炭素中毒

 翌日、医師から説明があり、一酸化炭素中毒だったことが判明。普段はオイルヒーターのため、換気することがほとんどなかったので、完全に油断していました。

 特に密閉性が高い住宅の場合、無換気は命にかかわります。私の部屋には《ロスナイ》という換気装置が取り付けられていましたが、普段全くと言っていいほど使ってなかったので、存在すら忘れていました(笑)

 そのことがあった以後はオイルヒーターであっても必ず《ロスナイ》の運転と定期的な換気をするようになりました。

本気で死ぬかと思った体験談(1)

 生きていれば誰しも1回は「死ぬかと思った」ことがあると思いますが、私も今までの人生の中で”3回”死にそうになったことがあります。その体験を3回に分けてシェアします。

運転中に腹痛、からの、失神

 一回目は、ある案件でマクドナルドに向かって車を運転していた時のこと。

朝起きてから体調に異常は無く、時間に余裕をもってゆっくりと車を走らせていたんですが、何となくお腹のあたりに違和感を覚え、それが徐々に腹痛に変わりました。

 以前、腸にガスが溜まって猛烈な腹痛に襲われた時があり、その時は溜まったガスが放出された時点でウソのように治ったんですが、その日は様子がおかしく、腹痛が吐き気に変わっていきました。

 どうしても吐き気を我慢できず、近くにあったスーパーの駐車場に車を止めたとたん我慢が限界に達しドアを開けて吐いてしまいました。

 ドアを閉めて、「少し休もう」と思いシートを倒したと同時に気を失ってしまい、気が付いたら救急隊員の方が私に声掛けをしてくれていました。

 駐車場で私の車を見たスーパーのお客さんが、外の嘔吐物(吐血していた)と車の中の様子を見て店員さんに伝え、店員さんが救急車を呼んでくれていました。

救急搬送

 救急車に乗せられた際、初めに疑われたのは《心筋梗塞》でしたので、ニトログリセリンを舌下に含みながら病院に到着。

 いろいろな検査の結果、《胃潰瘍》が酷くなった状態で、一時的に血液量が低下して失神したということでした。

 そして、気を失っていた時、お客さんが見つけてくれなかったら、おそらく手遅れになっていただろうとも言われました。

その後、お礼に伺ったのは言うまでもありません。

胃潰瘍のそもそもの原因は《ピロリ菌》で、一週間の入院の後、除菌をして完全に駆除できました。

大雪の日に車のキーを落とした体験談(検証と反省)

普段何気なく見ている排水溝や用水路の《グレーチング》。そのグレーチングで取り返しがつかなくなるような体験をしたので注意喚起を兼ねてシェアしたいと思います。

ある日、雪山の写真を撮ろうと、山が良く見える川沿いの道端(正確には道から外れた農道)に車を止めて撮影スポットを探していた時のこと。

 後から気づいたんですが、何気なく止めた場所には大きくて深い用水路があり、用水路の上には大きくて重いコンクリートの蓋と、グレーチングが被せてありました。

 その日は雪がたくさん降った翌日で、そこの用水路もほとんど雪で埋もれて用水路があることもわからない状況になっていました。

 外に出て撮影ポイントを探したのですが、良いポイントが無く、次のポイントを探そうとドアを開けて乗り込もうとした時、車のキーが手から滑り落ち、雪に埋まってしまいました。

新雪だったので深くまで潜ったなと思い、雪を掘ったところ、なんと、グレーチングが出てきました。

 面白いもので、その時点では理解ができず、数秒後に「もしかして、用水路の中に落ちた?」と、状況を理解し、幅(1mぐらい)と深さ(1mぐらい)のある用水路で水の流れもそこそこあったので絶望的な気持ちになりました。

 が、少し落ち着いて考えてみると、「この幅と深さなら、グレーチングを開くことができれば中に入って歩けるんじゃないか?」「キーにはいろいろな物が付いていたので、重さで流れにくいんじゃないか?」などと陽気にひらめいて、グレーチングが開きそうな場所を探して、雪を掘り、グレーチングをなんとか持ち上げて (火事場の馬鹿力?) 用水路の中に入りました。

 やはり中は真っ暗、所々空いたグレーチングから少しだけ光が漏れ入っているような状況で内部はほとんど見えない状態でしたが、ポケットにスマホが入っているのを思い出し、スマホのフラッシュライトで照らしながら落とした直下の場所を探しましたが、ありませんでした。

 長靴の半分ぐらいの水量があったので、流された可能性を考え、流れの下流に沿って歩いていると、何やら沈んでいるものがありました。「まさかこんなに簡単に見つかるわけないよな」と思いつつ近づいてみると、そこには見覚えのあるキーの束が沈んでいました。半分諦めていただけに、何とも複雑な、歓喜と安堵と恐怖が入り混じった感情が沸き上がりました。

 無事家に着いて振り返ってみると、ラッキーなことがいくつも重なっていたことに気が付きました。

1、前日が大雪で、長靴を履いて出かけていたこと

2、用水路の上に積もった雪が、重くなかったこと。

3、用水路が人の入れる大きさで、グレーチングもなんとか開けることができたこと。

4、キーの束がある程度重かったこと

5、ポケットにスマホが入っていたこと。

6、水量がそれほど多くなく、流れもそれほど早くなかったこと。

普段は絶対にグレーチングの上に車を止めないのですが、雪の日はよく確認してから車を止めようと再び心に誓った出来事でした。

雪国に住まれている方は要注意です。特に運転席が用水路のグレーチングの上にかかるような場所では、車を止めないようにしたほうが良いと思います。

生まれて初めて触ったパソコン

パソコンを触るきっかけになったのは、私が全くコンピューターに興味がなかった時に、友人から「これからはインターネットの時代が来るから」という言葉と共に譲ってもらったMacintosh Performa 5260

当時はインターネット黎明期で、パソコン通信全盛の時。友人もYahooをヤホー、Googleをゴーグル と言っていました。(実話です)

例に違わず、海外の×××なサイト(当時はホームページと言っていた)を見たい一心で必死に雑誌(Mac Fan、Mac world、Mac people など)を読みあさり、付録のフリーソフトも入れまくって必死に勉強(笑)していました。

そうこうしてるうちに、パソコンを手に入れる以前からやっていた音楽関係でも、パソコンで作るDTMが流行りだし、波形編集ソフト(Sound forge)を使いたいがためにWindows機の自作を始めました。

DTMソフト(Adobe audition、Cakewalk など)と共に現在もWindowsの環境で、動画編集などにも手を伸ばしつつ、永遠に終わらないであろう学習を続けています。


あの時、全く知識も先見の明もない私に無理やりパソコンを勧めてくれ、破格の値段で譲ってくれた友人と、何も言わずにお金を出してくれて、テレホーダイに加入してくれた両親には本当に感謝しています。


今はMacを触っていないのでわかりませんが、当時のMacは、誕生日や正月に気持ちの和む演出がありましたが、Windowsにはそんなあたたかい演出は無く、ちょっとガッカリしたことを思い出します。